横浜聖書教会の歩み
「人間をとる漁師として日本にやってきた」と述懐する米軍人H・フィッツ氏は、磯子区間坂の自宅を開放し、1956年(昭和31年)3月第2主日、土川英吉牧師以下4名の信徒が礼拝を始めました。
横浜教会の前身である「単立横浜聖書教会」の誕生です。翌年5月、土川英吉牧師が退職なさった後は、神学生の応援を得ながら、子供達や学生を中心に伝道し、多くの献身者を輩出しました。
1961年(昭和36年)4月、日本アライアンス教団に加入。翌年岡崎積神学生(現引退牧師)が派遣され教勢の進展をみる。1963年(昭和38年)4月、自教会出身の岩淵宏安牧師(在米)が就任されましたが、1968年(昭和43年)7月、年度半ばに退職なさいました。そのため、在京の藤家一六牧師の協力を得ました。
1969年(昭和44年)5月、今治教会から浅木春見牧師(故人)が就任なさいました。6月から4年間、バンスクーテン宣教師夫妻の協力を得ることができました。
1971年(昭和46年)1月、アライアンスミッションの協力を得て現在地約261㎡を購入しました。資金の大半を借入金で賄い、庭に簡易プレハブの仮会堂を建てました。1975年(昭和50年)4月、浅木牧師が引退され、後任に見奈良教会から伊藤亮三牧師が就任されました。多額の借金を抱えつつも自給で牧師家庭を支えるべく、信仰予算を組み直して出発し、思いの外早く完済することができました。
1980年(昭和55年)9月から2年間、ヤング宣教師夫妻の協力を得て学生・婦人伝道に力を入れました。
仮会堂は当初から手狭で基本設備もなく、老朽化が進むので、1984年(昭和59年)3月、手持ち金僅か200万円で臨時総会に臨み、不退転の決意で会堂建築を決議しました。内外から思いもよらぬ支援を得ることができました。翌年5月、教団の年会で「一力所集中援助方策」の適用と抵当権設定の承認を得て7月に着工しました。12月には約276㎡教会堂と牧師館が完成しました。15日に新会堂で第1回礼拝を守ることができました。
1986年(昭和61年)2月11日、満堂の出席者を迎えて献堂式を挙行しました。会堂建築か教会形成にはずみをつけ、聖霊は教会を建てる。以来、新来会者、受洗者に恵まれ、地域の礼拝者も着実に増加しています。多額の土地代返済にも懲りず、会堂建築も借入金で賄いましたが、人一人の救いを思うと身に余る光栄です。
「体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれている」(エフェソ4・4)との御言葉を掲げて、御国の建設に勤しんでまいります。